内田勘太郎 ロングインタビュー DEEP BOTTLE NECK GUITAR

内田勘太郎ロングインタビュー[1] 俺自身が熱くぶっ飛ばされたい

ギタリストの内田勘太郎さんが、8枚目のアルバム『DEEP BOTTLE NECK GUITAR』(極東楽音)を11月23日に発表します。

インストながら、デルタ・ブルースの香りもあり、お気に入りの園まりのナンバーもあり、しかもジャンルにとらわれぬ自由な世界。トレードマークのボトルネック・ギターが全曲で様々な表情で歌う、勘太郎ワールド炸裂の内容です。(★ツアーの日程は3ページ目に!)

また10月には初のエッセイ集『ブルース漂流記』(リットーミュージック CD付)を出版。憂歌団のこと、ギター、ブルース、沖縄での暮らし・・・と盛りだくさん。目の前で勘太郎さんのおしゃべりに耳を傾けているような一冊です。 ギターを抱え、ブルースの海を漂流し続けてきた勘太郎さんは、今どこにいるのでしょうか――                                (2016年10月 妹尾みえ)

◆俺自身がぶっ飛ばされたい!

――新作『DEEP BOTTLE NECK GUITAR』は、ずばりボトルネック・スタイルに特化したアルバムですね。

内田勘太郎と言えば、カルピスの瓶首を使ったボトルネックというイメージがあるけど、実はそれだけで構成した作品は今までなかったのね。だから今度こそボトルネックだけのアルバムを作りたかった。  オープンチューニングを開発した戦前の黒人って凄い。ボトムが出せるから独りでもそう寂しくない。1ー5ー6弦を1音ずつ下げただけで、ベースを入れる事も和音を出す事も簡単になる。

――ここへきて、とりわけボトルネックを意識するようになった?

ソロになった当初は、今までのイメージから離れようとしていたからね。それだけが勘太郎ではありませんよと、ごまめの歯ぎしりみたいに頑張っていた。でも、もういいんだと思えるようになったんだろうね。

――何かきっかけがあったんですか。

お家でギターを弾き始めると、ブルースみたいなものから始まって、なんの曲ということでなしに、ぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃ変わっていくのね。昼に始めて、気がついたら電気をつけるのも忘れて真っ暗という日もある。  そうしたらギタリストの春日博文が、「そういう曲をなぜ録音しないの?」と言ったの。その言葉がヒントになって、カッコイイぜ! と思っているイントロとか、3コードの中でぶっ飛ぶ感じとか、俺がやってもいいんだと思ったわけ。

――「Wolf」や「Delta Song」あたりは、エンディングの処理も独特だなと感じます。

普通に終わりたくないのよ。色んな人達の影響を受けた知識もありつつ、自分のセンスでまとめたい。和音に関しては塩次さん(ギタリストの故・塩次伸二氏)の影響が大きい。

 本当、塩次さんって偉大だったよ。あの人の偉大さをみんなどれだけ知っているのかな。家に行くと「ええやろ」って言いながらいろいろ聴かせてくれるの。DJとしても最高の人だった。

 今度出版したエッセイ集『ブルース漂流記』(リットーミュージック:次ページで紹介)の最後に、ちょっとだけブルースのターンアラウンドについて説明しているんだけど、和音の扉を開いてくれたのも、たとえばナインスというコードを教えてくれたのも塩次さんだったのね。その頃、僕も木村(充揮)くんもセブンスしか知らなかった。

――塩次さんのことは語り継がなければと思っています。それにしても、勘太郎さんのようにキャリアを積んだ方でも、まだまだ変化していくんですね

今回アルバムを聴いて、だいたいわかったでしょう? あ、ここはあの曲がヒントだなとか、あのフレーズだなとか。15歳の時からブルースを聴いてきた、俺なりの蓄積は確かにある。だけどそれは100年も前の人たちのものであって、あえてレコーディングするようなものじゃないと、ずっと思っていたのね。オリジナルと言うからには、オリジンなものを作らなければと考えていたところもあるし。

 でも、やっちゃったら俺のモノなんだ。ブルース研究会じゃないからね。今はもうブルースというカタパルトみたいなものにぶっ飛ばされているだけ。だから出来るだけぶっ飛ばされたい。

◆ブルースの泥沼から浮かび上がってみたら、何でも有りだった

――以前から、気持ちのいい音楽をやることが1番! とおっしゃっていました。

それ以外ないでしょう。だから「逢いたくて逢いたくて」とか「どうにかなるさ」のような曲もやりたいのね。  俺は上等な歌手ではないけど、スライド・ギターはすごく歌に近いから助けられているところがあるんだ。俺のギターでできるなら頑張ってやってみようと思う。 ――ブルースはヴォーカル・ミュージックという側面が大きいですよね。 歌でしょう。マディの声なんて奇跡のような色にあふれている。ギターは最初のとっかかりとして物陰へ引っ張り込まれるような強さを持っているけど、そこから本当の陶酔を与えてくれるのは歌でしょう。自分で言うのもなんだけど、俺は歌バン(伴奏)も好きだしさ。 ――収録された「10$の恋」は、憂歌団の中でも特に思い入れのある曲なんですか。

いや、憂歌団の曲という気はないのね。実はさ、あれってリロイ・カー&スクラッパー・ブラックウェルの「Arlena」がヒントになってるんだよ。沖てる夫から歌詞をもらって、曲を早く作らなきゃと焦ってるときに、レコードに針を落としたら、ぴったりきたの。その後、この曲をカヴァーさせてくださいという人も現れて、後ろめたい気持ちもあるんだけど・・・・・・。

――でもそこには、勘太郎さんならではの味つけもされていると思います。今回のアルバムもインストですが、勘太郎さんの中で大事にしてきた豊潤なメロディを歌っている印象を持ちました。

「逢いたくて逢いたくて」なんて、わかりやすいので歌謡曲と呼んではいるけど、50年以上聴いているわけだから、もう自分の琴線に触れる音楽ということになる。今はジャンルなんてなくなってきているでしょう。

――確かに今の若い人たちは、生まれた時からあらゆる音楽に触れる機会があって、ボーダーレスに捉えていると感じます

それぞれの音楽に対する執着の良し悪しはあるかもしれないけどね。一方で俺は若い頃、ブルースというものに特化してしまったでしょ。そこに闇雲に潜り込んでいき、ぷかっと浮き上がってみたら“何でも有り”だったんだね。

 →次のページでは“何でもあり”を掘り下げます。

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