内田勘太郎ロングインタビュー[2] DEEP BOTTLE NECK GUITAR

内田勘太郎ロングインタビュー[2]  行くところまで行って破綻したい

◆12小節のマジック ――勘太郎さんが、ぷかっと浮き上がったのはいつごろですか。

たぶん1980年頃には、ボサノヴァだったりジョージ・ベンソンだったり、あらゆる音楽が好きになっていた。たとえば「ブリージン」ってすごく難しい曲に思えるでしょう? でも4つの循環コードだけなんだぜ(と弾いてみせる)。  他にもアントニオ・カルロス・ジョビンの「Wave」も紐解いてみれば結局12小節なんだよ。「12」という単位が、彼らにとっても、われわれにとっても何だかいいんじゃないかな。落ち着きを感じるのかなあ。

――面白いですね! 広がっていく予感があります。

面白いよね。例えばウェス・モンゴメリの『カルフォルニア・ドリーミン』に「Sun Down」ってブルースがあるんだけど、12小節で一回終わらないで、必ず10小節くらいのところから次のコーラスにいくんだ。必ずそう。

 同じことを繰り返しているようでどんどんどんどん広がっていくのは、手前からスタートしているからなんだと。そんなブルースの秘密の一端を知ったのは20代だったな。

 グラント・グリーンなんかも、どこまで行くんだろう?!と脳みそをつかんでくるようなところがあるよね。

――このアルバムにも、そこかしこに袋を破って跳ね出すような瞬間があります。そんなワイルドさもまた勘太郎さんらしいなと。

どこか破綻したいんだよ。2分で終わってもいい。気が済むまでやって、行けるところまで行きたいねえ。それに今回も沖縄の米兵の住まいをスタジオにした場所で録音したんだけどね、いい感じで弾いているとオスプレイが凄い低音で飛んでくるのよ。それもある種、セッションじゃない。だから「来やがったぜ! 負けないように弾いてやれ!」って。 ――唯一のサポート・メンバー、元MODSのドラマー梶浦雅弘さんが参加した「Zidangda」もエナジーに満ちあふれていますね。

すごく特徴のあるドラムでしょう。彼と合うのは根性がパンクだからかな。  ブルースってどれだけパンクなことか。黒人というだけで殺されるような状況の中で、音楽を演奏し、エンタテインメントとして成立させていった。とんでもないことだよ。 ◆戦前ブルースには「一人一民族」のような豊かさがある ――勘太郎さんにとってデルタ・ブルースを含む戦前ブルースの魅力はなんでしょう? 戦前のブルースって「一人一民族」みたいな感じがしない? 個性的な人たちが、あちこちにいて、すごく豊かだよね。ロバート・ジョンスンは言うまでもなく、ビッグ・ビル・ブルーンジー、ロニー・ジョンスン・・・・・・そういう人たちの後ろには録音の機会もなかった人たちの広い大地が広がっていて。『RCAブルースの古典』はよく聴いたねえ。トミー・マクレナンはギターも哀愁のある声も好き。  でも戦後になるとマディ・ウォーターズたちが出てきて、完全にシカゴ・ブルースとゴスペルがかったアーバン・ブルースの2系列に分かれちゃった。  もちろん、われわれの知らないチタリンサーキットの人たちは土地に根ざしたブルースをプレイしていたんだろうけど、ビッグネームだけが表に出てしまったでしょ。

――確かにバンドになって自由度は減ったかもしれません。

1920年代のブルースってブラインド・レモン・ジェファースンにしろ端正な人が多いよね。録音ということでかしこまっていたのかなあ。 ――ライヴはまた別だった可能性はありますね。

すっごいワイルドだったんじゃない? でも、ああいうブルースが持つジェントルな側面を録音として残してくれたのはうれしいよね。

 ライヴと言えば、マジック・サムのアン・アーバーでの録音(※家庭用テープレコーダーで私的に録音されていた。現在は正式リリース)は、は日本人のブルースマニアにとって衝撃だったよね。ライヴってこれなんだ! デルマークのスタジオ録音とはまた別の感じなんだ! って。  日本でも、あきれたぼういずなんか、もっとぶっ飛んでいたかもしれないね。

→さらに勘太郎さんが感じるブルースの魅力。そして自身のこれからに話は続きます。 [1] [2] [3]