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今年も街がライブハウスになる! SHOWなんだいDEショー Vol.4 (後編)


(前編の牧野ひとみさんインタビューから続く インタビューのこの日は「SHOWなんだいDEショーの会議」の日。

インタビューの間にも、一人、また一人とのスタッフが中華三番ののれんをくぐる。

「ビール、自分で取って」とひーちゃん。

「今、作るからね」

しばし話は中断。

調理場で重い中華鍋をふるうと、あっという間にオーダーしたチャーハンができた。

この夜はスタッフ総出で当日配るプログラムを折り、近隣の住民の方に配るあいさつ文を用意する。 「文化祭みたいだな」

と誰かが笑う。

音楽のもとに一つの目標に向かって集まっている。

並々ならぬ苦労もあるだろうが

それ以上に、楽しみを共有するその一体感が心地よい。

そして手を動かすスタッフのもとにふるまわれたのが、

新たまねぎの天ぷらとサラダ。

おいしい!

そうか。 人柄のみならず、

ひーちゃんがこうしてしっかり胃袋をつかんでいるからこそ、人も集まるのだろう。

音楽に夢中だった十代

――三番でライブを始めてから何年になるんですか。

「店が32年。ライブを始めてからは7~8年かな。最初に出演したのはAMI☆TAMEか、洋ちゃん(藤田洋麻)だったと思う。ごめんね、はっきりしなくて(笑)。それからただのラーメン屋だけど出てくれますかって頼んだり、アーティストが紹介してくれて縁ができることも多いですね」

――そもそもは、亡くなられたご主人に閉店後のお店を使わせてと頼んだのだとか?

「そう。外の看板に<ブルースかけてます>ってマジックで書いてた(笑)。それで21時からブルースをかけてたら、ぽつぽつ人が集まってくるようになって。このジャケットを飾る所や棚とか、主人が作ってくれたんですよ」

――ひーちゃんの音楽との出会いは中学生の頃?

「ストーンズの<悲しみのアンジー>聴いて、いいな~と思ったのが最初かな。中学生のころは、横浜三越にあったオーレックスのスタジオでやってたFMヨコハマのリクエスト大会に行ったりしてました」

――となると十代は音楽三昧。

「高校のときは渋谷の<スワン>というDJ喫茶とクラシック音楽喫茶のバイトをかけもちしてました。卒業してからはデザインの学校が御茶ノ水にあったから、いつも武道館に行ってたね。北の丸公園という意味だけど(笑)。

スージー・クアトロは横浜野音で観たし、クラプトンは『オーシャン・ブールバード』の頃だったかな。そうだ。子どものとき、近所のお兄さんに連れられて雨のグランド・ファンク(レイルロード)も行ったよ」

――えっ! 後楽園の?! 洋楽志向だったんですね。日本のアーティストはどうでしたか?

「日本のアイドル? うーん、誰だろう、オレンジ・ペコ?(笑)。中学生のころ、テレビ神奈川の『ヤングインパルス』はよく観てました。四人囃子、ふきのとう、まりちゃんズとか、あと五輪真弓も良く出てた。ブルースは親戚のおねえさんが聴いていて知りました」

――当時のそうしたジャンルを超えた当時の“ごった煮感”は、私にもわかります。たとえば大塚まさじさんといった関西系フォークソングは聴かなかった?

「大塚まさじさんは主人が好きで、かけるとうれしそうでした。関西系ではもちろん有山じゅんじ、憂歌団も好きでしたよ」

外に向けて発信し続ける大切さ

――ブッキングも、そうして多感な頃から磨かれてきたひーちゃんのライヴ感覚と、アンテナがあってこそと感じます。

「これからはネコも杓子もじゃなくて、自分が本当にいいなと思っている人を呼んでいこうと思うんですよ。神奈川県が文化の力で人を引きつけようという意味で<マグネット・カルチャー>という言葉を使っているけど、(同じように)外に向けて音を出していかなきゃいけないと思うの。 

だから<SHOWなんだいDEショー>のようなイベントを立ち上げてこの人たちの歌を聴いて! と手をあげることが大事だと思う。

アンタは偉いねと褒めてくれる人もいるけど、アーティストや協力してくれる人、みんなの力。これからもみんなで面白いことをやっていきたいよね」

――同感です! これからも、ひーちゃんのセレクトショップであってほしいです。そうだ。ところでなんで店名は三番なんですか?

「長嶋茂雄の背番号! 主人は店を開いたら三番にすると決めてたんですよ(笑)」

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